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タイトル? なんのこっちゃ

2010年09月06日 04:18

SAはそろそろ終焉に向かっているようです。
アナコンダはちょっと慣れました。AKは使えなくなりました。敵が倒せなくなりました。
昔なら考えられないようなとこにも負けに負けて、もう何が悪いのかどうして勝てないのかがわからない。
さて、なんのMMOやろうかな。


そろそろ今期のアニメも終盤を迎えつつあります。なんとも評価のしがたい作品が多く、(この先にもよるけど)茶字以上はないかなぁ。これは見た方がいいと勧められるものが無い。


二日なんたらで頭が痛い。久々にちょっといきすぎました。昔の知り合いに会うとそれなりに話もはずみますねぇ。いっちょ前に彼女作っててのろけ話が4割だったけども(笑


ここから気持ち悪い戯言。独り言みたいなもんなんで見なくておk。









それにしてもみんな人生を楽しんでいる。私のために、あなたのために、嫌だ嫌だと言いながら苦労して小さな幸せをつかむことを楽しんでいる。そんなふうに生きるのが普通であり、私からみれば才能なのである。

幸せを望まなくなった人間はいったい何を目的に生きるのだろうか。よく人間に生きる理由を求めるなという人がいるのだが、それは違うと思う。完全に自論だが、人は幸せを得るために生きているのだと思う。

物を食べる幸せ、死を恐れ生きる幸せ、ゲームをやる幸せ、勉強をする幸せ、音楽を聞く幸せ、車に乗る幸せ、人を愛する幸せ。どんなに小さい事でも欲がある、すなわちそれを欲するという幸せのために人は生きているのだと思う。

では、幸せを求めなくなった人間はなんのために生きながらえるのだろうか。なんのためにみそ汁を飲み、なんのためにコンビニでレジを打ち、なんのために布団にもぐるのだろうか。なんのためでもないのではないだろうか。幸せを求めなくなった人間は無なのではないだろうか。消えるモノ。消えているモノ。存在していないモノ。

無のモノは未開の土地で死体が上がらないようにひっそりと死んでいく。誰かに見つけてほしいという欲が無いから。生きた証なんかいらないから。ただ、消えるべくして消えるために。

集団自殺や、飛び込み自殺など最近はこういう言葉が目立つ。自殺するなら一人で死ね。死んでからの迷惑は最低限にとどめろ。それができないなら自分から命を断つな。欲があるなら、幸せを求めるなら精一杯果たせ。

自殺は時折、苦難からの逃避などと表現される。では苦痛も感じない、幸せも感じない、何も感じないモノはなんなのだろうか。人の形をしたソレは一体なんなのだろうか。

私個人としては、この迷題の結論はでかかっている。無である。つまり最初からなかったものである=消えるべきものである。自殺ではなく消失。7年かかってこれだけ人に理解されない結論もどうなのかと苦笑してしまうところではあるが。

幸せを求めなくなった時、あなたは消えますか?

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